よいちろ日記

忘れないようにメモ。

「ライフ イズ ストレンジ」人はなぜ物語を求めるのか。

 
アメリカの女子大学生マックスが、周りの人とコミュニケーションする中で、奇怪な事件に巻き込まれていく。マックスにどういった行動や言動を取らせるか(選択肢を選ぶことでストーリーが進む)によって、状況や結末がバタフライエフェクト的に展開していくというゲーム。
 
とにかく、マックスがかわいくて、いいやつで、自分も良いやつになった気分になってくるんだよね。アメリカのキャンパスライフを疑似体験できるのも新鮮だった。
 
20時間くらいやったかな。なんだか海外ドラマをシーズン4くらいまで見終わった感覚。若干ロスを感じている。実際にプレイしているときも、ゲームをやっているというより、主人公や周りのキャラの気持ちを考える時間が長くて、ドラマを見ている感覚に近かった。なので、結構、気が楽というか、よしゲームやるぞ!ってしなくてもできたのはよかったなあ。話の流れも海外ドラマっぽくて、チャプターの終わりにはどんでん返しがあったりして。
 
他には、このあたりのゲームがそういう系っぽい。
UNTIL DAWN
Until Dawn -惨劇の山荘- 【CEROレーティング「Z」】

Until Dawn -惨劇の山荘- 【CEROレーティング「Z」】

 

 実況がおもろい。

 

 
BEYOND: Two Souls 

 この実況もおもろい。

 
どっかでみた人に似てるなって思ってたら実際の演技を再現する手法で作られているんだ。確かにCGで想像しながらやるより、撮ったものを再現するほうが効率良さそう。

 

HEAVY RAIN −心の軋むとき− 
HEAVY RAIN(ヘビーレイン) -心の軋むとき-

HEAVY RAIN(ヘビーレイン) -心の軋むとき-

 

 

 

探したらBEYOND: Two SoulsHEAVY RAIN −心の軋むとき−」のパック売りみたいなのが、PS4だとあって、2本で4,000円くらいだったので買った。

HEAVY RAIN -心の軋むとき- & BEYOND: Two Souls Collection | ソフトウェアカタログ | プレイステーション® オフィシャルサイト

 

ところで、Netflixの物語展開が選べるという試みはこれ系のゲームに近そう。そしてこのクオリティで没入感を体験させるには、コントローラーが必要そうだし、何より、分岐が難しそう。多すぎると撮影が大変だし、分岐による影響が少ないと、選んでいる面白みがなくなりそうだし。ゲームプラットフォームで、ゲームライクなコンテンツとして配信されるとかなら大歓迎。もっとこの手のゲームをいろいろな形で体験してみたい。

 

話を「ライフ イズ ストレンジ」に戻すと、意外だったのが、選択肢を迫られたときにめっちゃ考えてる自分がいた事。自己をマックスに投影して、人の相談に乗っているようなリアリティもあったし、人間関係を構築したり、キャラの人生を想像したり、モラルの判断だったり、自分だったらこうしたいという価値観だったり。ひとつの選択肢に10分くらい考え込んだこともあった。
 
正直、どんな選択をしても、大きくエンディングが変わるとかじゃないんだろうけれどね。開発工数とか、作品がユーザーに与える印象を揃える、とか考えたら、まあそうだろうな。例えていうなら、大河の上を小さなカヌーで右往左往しながら流れているだけなんだろうけど、その時見える景色とか、魚がはねたりとかっていう小さい差異を楽しませるような作りになっていて、すごく面白かった。選択している感覚は確かにあった。
 
今回「ライフ イズ ストレンジ」をプレイして感じたのは、ゲームって物語を伝える一つの手段なのかも知れないなということ。物語ありきのゲーム。ゲームという手段で物語を楽しむ。ゲームだけじゃなく、映画、小説、マンガ、ニュース…世の中のエンタメは「物語」を楽しむための手段が違うだけなんじゃないかなと考えた。
 
では仮にそうだとして、なぜ人は物語を求めるのかを考える。
大抵の人は、毎日、同じような環境で、同じような人たちに囲まれ、生活している。そしてそれに慣れる。どこかで慣れが生じると、(それは、一日の大半を過ごす空間や、会う人や、食べ物や、繰り返しやっていることかもしれないが)、どうしても、違う世界、違う生活に興味が湧いてくる。知的好奇心だったりが牽引していると思う。刺激を求める体質というか。脳の傾向というか。実際に、短期間の引っ越しや、海外旅行や、ジョブホッピングによって解消している人もいるし、付き合う異性をコロコロ変えることで解消する人もいる。だけど、そのコストって、高いことが多い。環境を変えて、付き合う人を変えて、住む場所を変えて、言動や持ち物やあらゆるものを変えてみて、というトライにかかるコスト。環境変化による知的刺激コスト。だから、そういった欲求、日々をガラッと変えることで、自分の飽きや、知的好奇心を満たそうとする欲求、それを手軽にしかも、何らかの達成感(大抵は困難を乗り越えるというもの)というおまけ付きで、疑似体験として想像上のifを味わえるのが、物語だったり、その手段としてのゲームだったり。人間の共感力、想像力、疑似体験力ってすごい脳を発達させてきた気がする。勘違いのちからすごい。というのが物語を求める理由なんじゃないかなと思った。
 
ちなみに「ヒトの心はどう進化したのか」という本にはこんなようなことが書いてあった。(記憶)
  • 冒険したい欲は、新しい食料を求めて狩猟生活していたときの名残。
  • 共感するのは、人間というコミュニケーションする動物が共存していくために必要な能力。
  • 模倣する、遊ぶというのは、狩りや性差や役割を獲得していく、学習していくための過程。

 なるほど。物語=現実のシミュレーションと捉えて、環境適応の訓練だとか、共感の練習だとか、狩猟能力の獲得だとかという説明は、無意識にそういった理由で心地よさを覚えていることは理解できる。けど、実際に生きている自分の満足がそれによって引き起こされているということを実感できるレベルで納得するのは難しい。

 
 
現代人のエンタメ、ストレス発散って、物語に大きく依存していると思う。
なぜ人は物語を求めるのか、という問いは、もう少しじっくり考えてみる。
 
 

「響~小説家になる方法~」がなんかを突きつけてきた。

会社の人におすすめされて読んだ。なんだろう。自分だけのものにして薦めたくないっていう気持ちになっていて、それが、つまり、この作品を好きになっているということなんだろうけど、こんな作品好きになってたまるか、というあまのじゃくな気持ちも同時に湧いていて、整理が付かない。 

とにかく、主人公の響が自分の中の、ある、正常な青い部分の化身のようで、見ていて吐き気がするんだけど、気になって仕方なくなっていた。

 

あらゆることに真剣に向き合うことをやめないとこうなる。

響には、基本的に、見栄、よく見せよう、相手にこうしてもらおう、こう思われたい、という打算的な意図がないまま生きている。それってどういうこと?というレベルで。
見栄、世間体、勇気、特別感、自己陶酔、才能で感じる自己有能感、人との比較、周りからの評価、そういったものが理解出来ないと言わんばかりの響に、「はいはい。一番かっこいいやつやりたいのね。乙。」「いや、なんとも思っていませんけど。」「嘘つけ!」「いや、嘘ってなにに対して言ってる?」というような感情の攻防をなんども繰り返した。この「人のダサい部分に一切触れてきていないので、それがどういう気持ちかわかりません」というのは、辛辣である。一度そういう気持ちを持ってしまって、それがどういうことかわかっている側の人間には、絶対に真似出来ない生き方をしてくる。そしてそれに憧れる。けど真似出来ない。そこが憎く感じる。忌々しい。がそう感じれば感じるほど、響のことを気にかけている。

そして、そういう響の生き方に近づこうとすることが既に打算的で、響の価値観から離れていく。近づこうとすればするほど離れていく。

ただ、唯一の救いは見いだせた気がしていて、それは、真剣に生きるということなのかなということ。多分、響は真剣なんだと思う。あらゆることに対して。あらゆる人の生き方に対して。みんな真剣に生きて、生を全うしようとしている前提なんだよな。
憧れ、じゃないな、そういう真剣に生きるということを試してみたくなった。そうなったら楽なんじゃないかな感はある。計算しなくていいし、それで関係が成り立たないならそれでいいという覚悟。そしてそれは死ぬわけでは無いので大したことではないという価値観。
ただ、真剣に生きるなら、とことん真剣に生きないと、一貫性がなくなって、気持ち悪いやつに成り下がって、伝わらなさそう。自分に一切嘘をつかない、その見返りとして相手にも同じことを、同じ態度を、同じ生き方を求める。こんな単純なことなのに、すごく大変な気がする。

 

物語を作り出す才能へのあこがれがある。

今の時代に、どういう才能、どういう人が、人を惹き付けるか、求められるか。それは人を感動させられて、人に夢を見させられて、人に物語を提供できる人なんだと思う。
響を通じて、この作家さんが、自分がそうだと、そう信じていると言わんばかりで、若干、読んでいる間に、作家さんの薄ら笑いが勝手に見え隠れして、ムカついたけど、この作品は間違いなく、自分の心を動かしたし、素晴らしい作品だと思っている。人に、態度を、問う、というのは、稀有だと思っている。

7巻を早く読みたい。

情熱ポルノ映画「ラ・ラ・ランド」大好物なやつだった。

「ラ・ラ・ランド」と「セッション」が同じ映画監督だというのは知っていたけれど、全く同じツボを突かれてノックダウンされた。情熱を燃やす人たちの美しさと彼らが払う犠牲、すべては語らないストーリーと演出。このあたりが構造としてとても似ていた。そして、それが大好きな自分としてはやはりまた気持ちよくなった。
 


以下のブログは酷評だけれども、共感した。


ポジ:デイミアン・チャゼル変わってなくて良い!
ネガ:デイミアン・チャゼル相変わらず大衆にポルノばらまいてるな。
かなと。
 
自分は、デイミアン・チャゼルのポルノを、下品なものとして退けるどころか、ありがたい激励として受け取れる観客なんだと思う。
「セッション」も「ラ・ラ・ランド」も、夢に情熱を燃やす人たちが出てきて、「おい、おまえ、日常に流されてそれでいいのか?人生、燃えなくてそれでいいのか?こいつらだって、必ずしもトントン拍子じゃないけど、もがいてるぞ。人として生きるって、こういう素晴らしいことなんじゃないのか?」という、激励。で、それにまんまと感化されてしまう自分。
 
こういった青臭いメッセージをスマートに届けるための方法として、マイナス面を描くのがうまい。情熱が成就する過程で失ったモノの大切さにいかにさりげなく(というかこちらが納得のいく形で)気付き、いかに愛おしむか、が織り込まれているストーリーがそれであると感じた。「セッション」のときに感じたのは、狂気の向こう側にある高みを臨むことができる共感者を見つけたときの、生命活力感であったが、今回もそれはところどころに演出されていた。
 
また、スマートに、という部分で自分好みに仕上がっているなと感じたのも、すべてを語らず、観客に想像の余白を残しているからであろうか。最高潮まではイカせてくれない。ギリギリのいいところまで持っていって、「あとはあなたのご想像におまかせします」という脳内で自分の都合の良いように解釈されるオリジナルカスタムストーリー。これに勝るものはないんだろうな、きっと。受け手の想像に任せてしまうのは、メッセージがブレる可能性があるので本来は怖いんだろうけど、大枠の方向性を定めて、受け手によって大きくブレないようにするのがうまい監督で、その塩梅が才能なんだと思う。
真っ白い大きなキャンバスの真ん中に赤いインクをチョンと垂らした絵を、美術館で大事そうに飾り、題名を「命」とかしたら、「人生を変わった」とか言い出す人が出てくるのと一緒の手法ではあるけれど笑
 
映画はじめ、ゲーム、マンガ、小説、音楽(もその背景にある物語を観ていると思っている。)などのエンタメ=物語性があるものは、観ている人を気持ちよくさせるもの。以上。というポルノ的な面が大いにあると思う。「ラ・ラ・ランド」におけるポルノは上記に述べたとおりである。
 
そして、物語におけるポルノは、中の世界への共感によって起こると考えている。
 
ヒトはコミュニティを形成する、共感する動物であり、共感することができると、それだけで役に立ったと認識(勘違い)したり、共感できたこと自体に幸福感(脳内麻薬の分泌)を感じることができるのであろう。共感した結果、登場人物の感情の起伏を疑似体験して、悲しくなったり、嬉しくなったり、楽しくなったりできる。その共感度が高いと没入感が高くなり、感情の振れ幅も物語が意図した(場合は、)乱高下と近くなる。
 
「セッション」「ラ・ラ・ランド」2作のデイミアン・チャゼル映画は、要素としてかなりの部分が、自分としては共感度が高い物語(=理想の自分)で構成されていた。
現状に打ちひしがれながらも、活力をもらって、またファイティングポーズを取れる、そんな映画だった。4.3点。
 


後半からぐっと具体的になる「ザ・プラットフォーム:IT企業はなぜ世界を変えるのか? 」。

前半はプラットフォームとは何かという説明に割かれていてSNSとは何かを丁寧に解説するので真新しいことはなかったが、後半から著者が直接体験したことからの引用となっていて、インサイトが溢れてきて面白い。解釈しながら自分用にメモしたので、本意とは少しずれているかもしれない。全体の要旨としては、欧米型のプラットフォームは、「人間をより人間活動に集中させる」というビジョンを持っていて、日本が独自である程度発達させている「コミュニケーション消費」と結びつけて、プラットフォームビジネスにおける次なる打ち手を提示している。
  • (特にITサービスの)プラットフォームは、膨大なユーザーとその行動データを抱えており、人間の生活に大きく影響を与える。
    • (まあその通り。データを如何に活かすかが大事だと思うけれど、そこにフォーカスされていないのはちょっと消化不良。)
    • Facebookは中国の人口を超えており、既存の枠組みのプラットフォームを超えてくる可能性がある。
  • プラットフォームを理解するうえで大事なことは、共有価値観。(プラットフォームを運営する企業が目指す提供価値。)
    • 現在存在する大きなプラットフォームに共通するのは、「人間の人間らしいコミュニケーション」をサポートするということ。
    • Googleは機械に人間がやるべきではないことをやらせ、人間は人間らしい生活を楽しむことに勤しむ。
    • Appleは機械が人間の可能性を引き出すことで、その人らしい人生(物語、情熱=ヴァース)を歩むことをサポートする。
    • Facebookは人間関係をつなげるOSとしての立場を目指す。弱いつながりをVRでもう少しだけ強固にしていくのであろう。
  • 3Dプリンタ、カーンアカデミー、airbnbが面白いよね。
    • オンデマンドで個人最適化されたものが手に入る。
    • インターネットで無料の教育が可能。さらに教え合い(pay it forward)がプラットフォーム上で作用することで、規模の拡大が望める。
    • シェアリングエコノミーによって、ユーザーがユーザーに合わせて特別な体験を提供する事が可能になる。CtoCの安全性を担保しているのがFacebookである点も注目するべき。
  • Googleの登場によって、問題解決ではなく、問題設定や問題解決実施に価値がシフトしてくる。
    • 「XXX 解決方法」でググれば大抵のことはヒットする。
  • 日本型のプラットフォームに着目する。「iモード」「リクルート」「楽天」(「mixi」「LINE」)
    • リクルートの強みは、人生の岐路に対する情報提供に着目すること、新語を根付かせる編集力、関連事業に広めていく営業力にある。
  • 結婚というライフイベントに、情報一覧性をもたらし、結婚式のみならず、引き出物、二次会、結婚旅行まで面倒をみるようにした、ゼクシィ。
    • まずはユーザーと式場ラインナップをバランス良く増やす。
    • バランス良くユーザーもラインナップも増えてきたら、幅を出すために、関連事業まで提案しだす。
    • そのようにしてユーザーが増え続けると、お金のないユーザーも取らざるをえないため、提供サービスの質を下げ、単価を下げる方向に行ってしまいがち。
    • だが、その単価が下がらないように、関連事業をまとめたパッケージングをうまく作り上げるコンサルを派遣して、スケールさせつつも質を担保する。
    • それができるのも、紙面をコントロールしている編集とガッツリ連携しているため。パッケージングまでやってくれるのでリクルートに広告を出す小売がリピートしてくれる。
    • あれも良い、これも良い、と幸せの森状態で悩んでもらうことがゼクシィのコアコンセプトで、これがこれから重要になると考えている「コミュニケーション消費」
  • iモードはコンテンツプロバイダーを大切にして、供給過多になって過当競争が起きないようにした。(芸能界みたいに。)
    • 新機能を使ったプロバイダーは、リスクに見合った利益還元(露出増加など)をするなど、コンテンツプロバイダーとユーザー双方が参加しやすい工夫をしている。
    • 具体的には、新機能を使ったアプリは上部露出かつプロバイダー数を限定し、ユーザーが増えてきた時点でランキング形式にしてプロバイダー全体に開放したりなど。
    • iモードという造語は、インターネットなんか怖いというユーザーを取り込むためのリクルートイズム。
    • 着メロをダウンロードするときに必要な情報を最低限に減らし、「これを設定しますか?」とするようなちょっとした工夫を積み重ね、市場を形成していった。
  • 楽天は、各店舗の担当者を集めて、運用方針を教育(Shopping is Entertainment.と標榜、ながら買いを助長する。)。
    • 店舗間で、仲間意識をもたせ、お互いの戦略を熟知させた上で、パイを食い合わないように、種類の多い売れ筋商品で自然と棲みわけされるようにしている。
      • ゴルフクラブやワインなど。
  • 「コミュニケーション消費」とは何か。
    • mixiのラダー設計によってROM専を情報発信者に変える方法が足跡機能。
      • (LINEの既読機能をメッセンジャーアプリが取り入れてる理由がわかった。(アクティビティが上がるんだと思う。))
      • 足跡だけ残して(既読しておいて)スルーできない、からコメント(返信)するという心理。
    • コミュニティのバッジ表示機能があることで、自分をうまく表現することが可能になった。
      • 文章で書くのは難しくても、参加コミュで自分がどういう人間かを間接的に表現することは比較的容易。
    • その美しいラダーを崩してしまったのがボイス。
      • 短文を投稿できると、日記という長文コンテンツを書いていた人たちが気軽に短文を書き出し、ユーザー滞留時間が短くなる。
  • 共通して大切なのはプラットフォームの力学が誰によってどういう過程で生み出されるかをしっかり理解し、理想形に持ってくには誰にどういう気持ちで動いてもらい、結果何が生まれるかを設計しておくこと。
    • 過去から学ぶことも多く、ここにあがっている実例を詳細に検証しておくことが活きることもあると思う。
  • AKB48のファンコミュニティの盛り上がりやニコニコ動画のタグやLINEのスタンプを見ていると、すべてを語らない、あえて隠喩するという手法でのコミュニケーションが現代社会において発達してきているように思える。
    • これはアジア圏特有ではなく、Snapchatなどを見ていてもそういったハイコンテクストで会話するような傾向があるように思える。
  • プラットフォームは現代社会において、帰属や承認を満たしており、次は自分にしかできないコミュニケーションを通じた、他者を幸せにすることで自己実現をしようとする段階に入るのではないかと考えられる。
  • 人間活動させるプラットフォームが世界を包み込んだとき、そこに内在する1コンテンツプロバイダーなのか内包されるプラットフォームかはわからないけど、細かなニュアンスを扱うコミュニケーションや人間活動をより増強させるようなものが生まれれば勝機が見え、単一民族で阿吽のコミュニケーションばかりしてきたが故にその辺のスキルは発達してるアジア圏はそこに強みあるんじゃないのというまとめ。

夢の街「Las Vegas」で年越して動物的な人間性を取り戻した気がする。

年末年始を利用して(2016/12/30〜2017/01/06)Las Vegasへ行ってきた。合計7日間と短い滞在だったけど、大学生の頃に行ったときには感じられなかったことや、考えられなかったようなことが考えられて、自分の思考の幅がすこしは広がっていることを感じられてよかったとともに、アメリカのスケールのデカさが随所に感じられて圧倒された。ちなみにLas Vegasとは「牧草地」という意味だそうで、その昔砂漠のオアシスだった。ゴールドラッシュ時に拠点として定住する人があらわれ、税収確保のために賭博を合法化したことから現在のような観光地になっているそう。へえ。

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年越し直後。Las Vegas Blvdが歩行者天国になって、歩けないほどの人であふれかえる。そこらじゅうにDJブースが出て飲めや騒げや抱きつけやの乱痴気騒ぎ。音楽と酒とありとあらゆる人種の男女。パーティー。

 

エンターテイメントにおいて「人間のコミュニケーション」がとても重要視されている。

多くの人が集まり、世界でもトップレベルのエンターテイメントが集まっているであろう世界でざっと触れた感想として、エンターテイメントが目指す価値は「人間のコミュニケーション」なのかなと思った。「Zumanity」がそれを明確に印象づけてくれた。PSVRで衝撃を受けたばかりで、あらゆる空想世界が眼前に表現される可能性に未来もみたけど、人間同士のふれあいというものがどれほど大事で切実で、欲に対してストレートなものなのかということを思い知った。人は人に感動したいし、人は人とふれあうことが楽しいし、人は人に可能性を感じることに価値を見出す。そこにお金を払う。そういった部分をモロに突いてくる。そんなエンタメがあった。
 
人は自分と同じ人間という動物がどんな可能性を秘めているか、動物としてどのくらい美しいか、その人がどんなことを考えてどんな人生歩むのか、自分の人生にどういう影響を与えてくれるか、そういった部分に興味があって、その媒体としてショーがあると考えると面白い。ショーはきれいだし、驚きに満ち溢れているし、パフォーマーは人間の素晴らしさを表現してくれている。大掛かりな仕掛けや演出はそれを増大させてくれている。多くの工夫と労力が投入されている。カジノは賭け事を通じて、言語を超えたコミュニケーションがあらゆる世界の人と可能になるというのが素晴らしい。人種やステータスが全く違う人と、言語なんか大して通じない人たちと、賭け事に勝つという1点のみにおいてつながり、喜びを共有する。これができるのは他にスポーツや歌やショーなどもあるだろうけど、もっと近場な本人同士のコミュニケーションとして成立するのが魅力。一緒にゲームに興じている人と興奮を共有する、パフォーマーを通じて人間について考える、自分について考える。生々しい熱が伝わってくるのが素直に面白かったし、日頃、デジタルコンテンツにばかり触れていた自分が忘れていた部分でもあった。
 
Criss Angel Mindfreak Live - Luxor 

CrissAngel Mindfreak
瞬間移動すごかったけどやり過ぎ笑。カミソリの刃を飲んで血まみれになるのは圧巻だった。ただ、仕掛けがごてごてしてて、「なんか仕掛けがあるんだろうな」と悟らせてしまうような作りになっていたのは残念。空中浮遊は仕掛けが全くわからなくて、あれでステージから観客の方に飛び出してきたら大喝采だったろうけど、ステージの奥の方でフワフワしてたから微妙だったなあ。

 
KA by Cirque du Soleil - MGM Grand Las Vegas

影絵と移動する垂直の壁。砂の舞台。大掛かりな仕掛けが印象的なステージ。崖に近い、20mはあろうかという壁にぶら下がって、そこに投影される岩肌の模様。ほぼ映画。最後は垂直な感圧式?ディスプレイの上で立ち回ってて、演者のアクションに応じてディスプレイが反応するような仕掛け。奈落の使い方も大胆で、演者が落ちるたびにドキッとする。席に座った瞬間からショーが始まっていて、サクラがカメラでパフォーマーを撮り始めて、奈落に落とされる演出もびっくりしたなあ。ショーの世界と現実のスイッチがなめらかというか、意識させないような作りになっていて、すっと世界に没入させられた。

 
"O" by Cirque Du Soleil - Bellagio Las Vegas - Bellagio 

クロバットやコミュニケーションは、ちょっと物足りなかったけれど、ステージ上に出ては消え、消えては現れるプールが意表を突いてくる。飛び込み選手と思わしき人たちが次々と地面ギリギリのプールに飛び込んでいくのがハラハラする。夢のような混沌とした世界を表現している。あべこべな感じ。水の美しさをもうちょっと工夫してもいいかなと思った。空中に浮く水の塊を操るとか、虹を作ってみるとか、平面の水を作ってコントロールするとか。プールとしての水だったから。

昔見た「フエルサブルータ」は、頭上に現れるプールに触れる(ゴムのようになっていてボムボム触れる)のが面白かった。このくらいしてもいいかなと。

 
Zumanity - New York - New York
ここからが本当に素晴らしいと思った。

ダンサーやパフォーマーがトップレスで絞り抜かれた美しい身体でアクロバットダンスを繰り広げる。一番釘付けになったのがこのショー。動物として本能的に感じる美しさ、性(セックス)の素晴らしさ、人間の能力の限界を、命の危険を犯して、余すことなく表現してくれていた。演出は、パフォーマーの息遣いのみのサウンド、心臓に響くビート、艶やかなライティング、がコアの表現を際立たせていた。細かい部分でいうと、例えば着地のトランポリンがベッドの装飾だったり、その後ろにグランドピアノとムーディな雰囲気、と物語に没入させる部分、非現実的な組み合わせのまるでCGアニメのような部分をリアルにステージ上に表現することに関しては徹底していた。このあたりの物語化(用意した世界観への没入)はシルク・ドゥ・ソレイユ共通してアイデアが素晴らしい。観客とパフォーマー(司会)とのやりとりが多いのも特徴。観客がステージに上って、みんなで盛り上がる。日本だとなかなか成立しないだろうなと思った。オープンなコミュニケーションが得意な人が多いであろうアメリカ特有なのかな。性愛に関しても、キリスト教教育がある程度浸透していたり、人種が違う人が身の回りに多かったりする関係で、アジア人より考える機会が多かったりするのかな。

 
DEJA VU SHOWGIRLS LAS VEGAS 

アジア人相手にもしっかりエンターテイメントしてくれた。仕事人としてのプロ根性が垣間見えた。上半身裸のストリッパーがポールダンスをしてくれて、1ドル札をステージに投げたり、手渡したり、パンツの紐に挟んだり。それだけだと何が面白いかわからないんだけど、かるい会話ができたり、それ次第でダンスサービスしてくれたり、ニッコリ微笑んでくれたり。たったそれだけの差異だったりするんだけど、絶妙だから、もっと近くにいてもらおう、もっと彼女を面白がらせるようなことを言ってあげようと、夢中になっていく。コミュニケーションの危うさ(演じているのか、本当にちょっと優しくしてくれているのかかが分からない)が面白いのと、なんでこの仕事をしようと思ったのかを想像し、それでもストリッパーとしてプロに徹しているのが見ていて爽快。下品なエロティックさは皆無だった。他のお客さんと盛り上がるのも楽しい。女性客も結構多くて、女性だけのグループもいた。中に、メキシコ人と思わしき家族(親父、母親、息子)が来ていて、子供の通過儀礼なのかな?子供も親の前でぎこちなく、母親は居心地が悪そうで。父親は金をストリッパーに渡して「息子を男にしてやってくれ。」と言わんばかりの。あれはなんだかすごい光景だったなあ。

 
生きている間にこういった体験をできることに感謝した。時代が違えば体験できないことが、今生きていることで可能であること。例えば、飛行機といった技術、インターネットという情報源、ストリッパーが可能になる倫理観の成長。人は体験をするために生きているんだなと解釈することもできて、人とふれあい、喋り、影響し合うということが人間の本分のひとつなのかもしれないなとも。しょうもない自分の価値観やちんけな安定に縛られて、この時代だからこそ可能になった体験を、敢えてしないのは損だ。優しくされて、フィードバックして、コミュニケーションして、人を素晴らしいと感じて、幸福になるために生きている。
 

とにかく広いがゆえにいろんなことができている。

国土がでかすぎ。グランドキャニオンにレンタカーで向かったけど、ひたすら続く直線道路と砂漠を時速130kmくらいで爆走しても5時間かかった。延々と地平線が見える。こんだけ広い土地がまだ余っているってものすごい資産。日本の自治区とか普通に東京より大きい土地レベルでつくれるだろうな。インフラ整備と物資輸送の整備がとてつもなく大変だろうけど。こんな広大な土地を持った国と戦えるのか、日本。どう考えても資源とか効率化させる仕組みとかそういった部分ではアメリカに軍配が上がるだろうなあ。CES2017にも行ったけどとにかく会場が広い。とても1日じゃ回りきれないレベル。(東京ドーム5個分だと。)スーパーやちょっとしたコンビニ(ガススタンドに併設されているのが常)も敷地がとにかく大きくて、いろいろな種類の商品が所狭しと並んでいて、敷地が広いがゆえに効率化されて切っていない部分が残されていたりもして面白い商品だとか試みだとかも容易にできそう。「スペース=金がかかる」という発想を持たなくていいので新しいことが簡単に試せそう。だれも見ていないような砂漠や空き地もたくさんあって、バイク改造したり、車改造したり、ロケット作ったり、ラジコンヘリ飛ばしたり、ショットガンでスイカ撃ったり、そういうワイルドな遊びも発達しそう。ドローンで空撮、広い長い直線道路を自動運転、非通勤ワークスタイルが、切実にフィットするのはこのアメリカの広大な土地が背景にあるんだということが理解できた。プライベートジェット、必要だよ。この広さじゃ。Las VegasのLas Vegas Blvd沿いにも大きなホテル、大きなアトラクション(噴水や火山や海賊船やレーザービーム)があって、客引きもスケールがでかい。それこそ、ホテルのロゴとともにSNSで共有されたらインパクトは大きいだろうし、カジノへの集客は抜群だろうなと。日本にカジノができると言われているけれど、狭い土地でどうやってこのビジネスモデルを模倣するかが難しい。大きなホテルが何十個も密集し、お互いに送客しあっているがゆえに規模が大きくなっていると思うし、大きな箱+大きな客引きアトラクション(ショー含む)+収益回収のためのカジノがうまくワークしていると思う。異なるテーマのホテルがあるから飽きないし、ショーや食事やクラブやショッピングと、王道のエンタメ施設は一通り揃っている。あきればクソ広い荒野にエクスカージョンに出られる。素晴らしい。どちらかというとシンガポールみたいなレベルに近くなるだろうけれど、せっかく湾があるので、クルーズ周りを充実させて、海上も敷地と捉えて、船上エンタメを充実させるとか、メガフロート作るとか。清水建設ファイト。

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ひたすら直線道路。これはまだ木々があるので良い方。ほかは荒野が果てしない。

 
CES2017で印象に残ったものを幾つか。日本の展示会より流石に多種多様なプロダクトが多かったけど、レベルはそこまで変わらないように感じた。なんというか、ひとつひとつの完成度高めだし、種類も多いのだけれど、今すぐ欲しいかと言われると少し躊躇してしまう。toCのサービスだとどうしてもそれだけで評価されてしまうので、働いている人の賢さとか、業界知識とかが活きてこないのがもったいないと思う。爆発すれば素晴らしいけれど、爆発したプロダクトなんて、そうそうなくね?という。実体験としてスマホくらいしか人口に膾炙したプロダクトがないような状態で、少し便利になるし自分たちでもサービスを成立させられるからという理由で、とりあえず身の回りの問題を解決してみた感。業界の問題点を解決するようなサービス(近年ではUber)ではなくて、独立したモノのプロダクトというのは、市場に受け入れられなかったときにしんどくて(受け入れられてもパイが小さくて)「クールでアプリもきれいで安いけど別に要らない」というものが多すぎる。クリティカルじゃない、小さな問題を解決するのは身近で面白いんだろうけど、せっかくあんなに大きな土地と、解決すべき大きな問題が山ほどありそうなのだから、そっちに行けばいいのになと思う。車内エンタメとか、遠隔会議とか、無人で中央管理でアメニティ補充してくれるシステムとか。(「Beam」が秀逸だった。)EHANGの一人乗りドローンも色々言われているけれど、テキストメッセージや配達が来たときに光るペン先とか、電気やエアコンを消し忘れていたときにブーブー震える小型のおしゃれなキーホルダーなんかよりよっぽどマシ。
 
ballooncam(Panasonic
日本国内で特許を取っているらしく、日本での使用に限られるとか。オリンピック開催時にはこれで広告がばらまかれるんだろうか。解像度がわるかったりとか、その場の人の感情を表現して投影するよくわからん機能があったりしてもうちょっと改善は必要そうだったけど。

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Beam(Suitable Technologies, Inc.)
タイムラグが全然なく、「ついてきて」と普通に歩きはじめても、テーブルを避けて難なく付いてきた。(相当練習したのかもしれないが。)グランドキャニオンでアメリカ内での移動の辛さが身にしみていたのでこれはオフィスに浸透するなと思った。存在感は高い。ビデオ会議で良いかなとも思うけれど、移動+リアルタイム会話で、ほぼそこにいるかのようにふるまえるので、お願い事とかもしやすいと思う。何と言っても、働いているんだよということが伝わる。

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Kino-mo Hypervsn(Kino-mo)
仕組みとしてはLEDの棒を点灯パターンを制御しながら回転させているだけなんだろうけど、完成度が高く、本当に立体ホログラフィーのようにみえる。(止まった現物を見せるのは無理!と断られた。)
一見すると驚きでShareしたくなる気持ちを上手く使って同時にRTキャンペーンを展開していたのも素晴らしい。

 

移民国家のシステマティックな部分。

UberとLyftはかなりプッシュされてたな。移民の働き口になっているのかな。ホテルの清掃員とかは一人残らずメキシコ人だった。そういった職業の住み分けが徹底されていそうだったのと、もう一つ印象的だったのが、自分の仕事の範囲を決して逸脱しないこと。徹底的に分業化されていた。サーバーは食事を運ぶことしかしないし、ウェイターは席の案内と調整しかしない。ホテルのラウンドリーサービスを使ったときも、3つも部署をたらい回しにされた。(フロント、ベルデスク、ラウンドリー)これぞアメリカという感じで、本当に自分の領域の仕事しかしない。逆にいうと、自分の仕事はきっちりこなす。愛想のいい人も中にはいた。(が、決して越権して余分なことはしないようにしていた)知らぬ存ぜぬ、他の人に聞け、あいつに聞け、の態度は一貫しており、ときに不便を感じることも多かったけど、責任の所在ははっきりするので、いろいろな人がいる社会ではやりやすいんだろうなとは思った。知ってはいたけど体験したことがなかったので、こういうことかと。はっきりいってドライ。だけどそれは仕事としてのドライさで、一緒にカジノで話したり、フードコートやタクシーで話したりするとおしゃべり好きでいい人たちばかり。(ショッピングモールのHollister前で、ホームレスみたいな格好してた人がしゃがんでたんだけど、Apple Watchしてるし、靴はきれいだなとおもって話しかけられたままに話していたら、AppleのOSエンジニアだったという出会いもあった。)
 

統一感のある景観。

これはどうしてだろう。日本についた途端、日本の空港ってか日本の建物とか設備とかダセえなって思う。デザインが行き届いてないからなのか、安物を安物として上手に活用できていないのか、米国デザインへのあこがれなのか、あらゆる部分がダサく見える。これは本当に謎。ひらがなと漢字とカタカナとアルファベットが入り混じったテキストが問題なのか、色使いなのか、丁寧すぎる説明文なのか、素材の質感なのか、システマティック化されきっていないが故に統一感がない部分なのか、とにかくダサい。カーペットの色や配置、建物の看板、ゴミ箱、電車、広告、標識、制服、レジ、食べ物のパッケージ、テレビ番組、あらゆる部分が無駄に装飾されているようにも感じる。もっと割り切って、削ぎ落としても良いのかもしれない。ちなみに向こうのテレビ番組は、ニュースとスポーツとディスカバリーチャンネルくらいしかやっていない印象で、モデル兼タレントが出ていて、どこそこのお店が美味しいだの、こうやると節約できるだの、といった生活臭満載のチープな情報番組に類するものがなかった。そういった志向の違いからも、日本の雑多で卑近な好みがあるがゆえの統一感のなさというのが出てしまっているのかもしれない。小さな国土で平和に単一人種で仲良く暮らしている日本では、それはそれで最適化されていて良いのだろうけれど。
 
 
さて、こんな国と日本が戦うにはどうしたらいいか。なかなか解が見えてこない。サービスを展開しようにも、パイがそもそも違う。資源も少ない。ニッチオブニッチになってしまう。テクノロジーで戦える企業も限られている(TOYOTAPanasonicSONYなど)。SoftBankは資金をうまく使って世界に打って出ている。すごいよSoftBank。頑張れSoftBank。とはいえ、アメリカ国内も、GE、Ford、WalmartAT&TGoogleAmazonFacebookMicrosoftIBMなどの巨大企業に牛耳られていて、ベンチャー企業が小さい問題解決に向かっているのもわかる。Go Bigがいつの時代もどんな状況でも正義と思いはしないけれど、常に見据えたい自分としては衝撃と絶望を味わった。今回度肝を抜かれたことは忘れないでおきたい。ちまちますんなと。大きくおおらかに考えろ、生きろと。広大なスケールに広がる、優しさとコミュニケーションと人間らしさを教えてくれた(取り戻させてくれた?)国でした。
 
 
 
 

「ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則」濃いなあ。

いろいろな場面、レイヤーで活用できるエッセンスが凝縮されている感じ。会社経営にとどまらない考え方のコツのようなものが散りばめてあったけどその全てを拾いきれた気がしないのと、活用しきるまで時間がかかりそうだったので忘れないうちに取り急ぎでメモしておく。理解が違うかもしれないけれどさっと読んだものをさっとメモしておくという感じで。 

ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則

ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則

 

まず、良質な企業が偉大な企業になるために重要な指針が7つある。その指針は良質と偉大とを判別する過不足がない判断軸であって、偉大になるにはすべてを満たしている必要がある。再度斜め読み返して、思い出したことや今の自分に光って見えた部分を無造作に抜粋。これは何度でも読みたい。

第五水準のリーダーシップ

  • 野心は会社のため、事業のために存在していて、自分の功績やお金やいい暮らしに関しては使わない。
  • 目的を達成することだけに興味があり、自分がそこにどういう形で携わるかは重要ではない。
  • 大物ぶったり、自分の実績だろうとなかろうと良い。
  • 特にこの本にでてくる第五水準のリーダーは豪邸に住むわけでもなく、楽しく必要なものに必要なだけ囲まれて生きているという印象を受けた。
  • 農園を自分で作ってみたり、友人と家のフェンスを修理するのを楽しんだり、妻と一緒に建てた家に住んだり。
  • 決して個人の成功のために尽力していない。
  • 永続的な目的達成システムのために尽力している。
  • ただし目的達成のためには職人的なこだわりをみせる。
  • 個人としては実に謙虚だが、事実に基づいた達成可能な目標に対しては誰に対してもフラットに接する。
  • そして必ず目的が達成できることを信じて日々実直に行動する。
  • うまくいったときは幸運だと思い、悪くなったときは自分に原因があると思う。

では果たしてなぜこれが偉大になるために良いのか。逆に、リーダーが自分の我を出すとなぜだめなのか。それは目的に対してリソースが最大最適化されないからだと思う。どこかで私服を肥やそうとしたり、自分の実績だと言えるような我を出したりすると、本当はやるべきことじゃないことをしてしまったり、どこか効率が悪くなってしまったりする。またそういった自慢の類を心地よく思わない優秀な人がいたりする。それによって「あらゆる優秀な人が誰を僻むわけでもなく、目的に全力投球できるような状態」が阻害される。社長が豪邸に住んでたら、自分の労働力が搾取されてるんじゃないかって思うもんな。

最初に人を選び、その後に目標を選ぶ

  • 適切な人を適切なポジションに移動させる。
  • 不適切な人を特に重要な意思決定をなすポジションに置かない。
  • リストラをせよ、という意味ではない。
  • それぞれに最適だと思う場所へ配置を変え、それによって去っていく人が結果出るかもしれないという話である。
  • 一人のカリスマに支えられたトップダウン型だと、継続性がないというだけでなく、優秀な仲間から意見が吸い出せないというデメリットも。
  • 何をやるかさえ決まっていないレベルでもまずは適切な人材を集めて、その後に目的地をセットする。
  • 偉大な企業には、報酬にモチベートされるのではなく、偉大ではないという事実にモチベートされる人材が多かった。
  • 怠け者を働き者に変えるのではなく、元々熱心な働き者がより心地よく、怠け者の居心地が悪くなるような環境を作り出した。
  • 水ぶくれした上層部にこそ厳格な基準を。冷酷ではなく、厳格。ひどいのではなく、厳密に。
  • まず適切な人材を。適切な人材の数の増加率より売上の増加率を高く保ったまま偉大さを気づくことはできない。
  • 適切な人材は管理を必要としない。必要なのは指針である。
  • なにが適切か。性格である。知識や技術は身につけることができるが、適したマインドセットは一朝一夕では身につかない。

これは管理コストと教育コストの問題に集約できる気がする。がんじがらめのごちゃごちゃした管理システムや目標設定システムは、創造性を邪魔する。そういったものが必要になった時点で適切な人材を配置できていないと考えたほうが良い。それは性格の問題なのかもしれないし、単にスキルセットの問題なのかもしれないが、適切な人材を適切なポジションに配置できれば、その管理コストや教育コストを低く保ったまま、特に細かな指示なく、「あっちの方に肥沃な土地があるぞ」というだけで、各々が最適な手段を持ってして目指してくれる。指示を出す層もプレイヤーとして活躍できるようになる。マネージメントや細かな指示を必要以上に欲しがる現場があるけれど、そういったところから良いプロダクトは生まれないんだろうなと感じた。

厳しい現実を直視する

  • 現実を歪めてしまうのが悪。
  • 厳しい現実も、追い風になりそうな現実も、主観で補正をかけることなく、ファクトとして受け止める。
  • 必要以上に悲観的になることも楽観的になることもしてはいけない。
  • 一人のカリスマが全体を引っ張る場合、下からの現実の吸い上げがうまくいかないことがある。
  • チャーチルは戦争中いかなる事実も曲げないで自分に報告させる統計局を重要視した。
  • リーダーシップの要点はビジョンだが、それと同じくらい、真実に耳を傾ける社風、厳しい現実を直視する社風作りが大事。
  • 自分の意見を言えるのと、上司が意見を聞くのでは大違い。上司が真実に耳を傾ける姿勢を常に見せ続けることが重要。
  • そしてよく、活発に、白熱した、事実に基づいた議論を行うこと。萎縮させてはいけない。
  • 非難は無意味。
  • 入手した情報を、無視できない重要な情報として判別できるかがカギ。
  • ストックデールの逆説。クリスマスまでに解放されることはないが、必ず開放されると、捕虜になったストックデールは頑なに信じていた。
  • 事実はどんな悲惨な事実であっても、直視し、必ず打開できると信じ、悲惨な真実に対して手を打つこと。

ファクトのもとに、誰しも平等に意見を出し合い、最善を尽くすこと。現実を捻じ曲げてはいけない。そしてそのファクトを吸い上げやすい雰囲気作りをすること。科学的なアプローチとも言える。感情や憶測は不要。事実を淡々と見つめ、手を打つ。それが教授だろうと学生だろうと、事実と結果のもとには平等であるという関係値が成立するように。これは、多くの人が、自分の都合の良いように事実を解釈してしまっているということの裏返しな気がしている。どうしても自分が可愛いので、事実のもとに平等に議論して、その時点で最善の答えを出すという当たり前のことが難しいのだろうか。それこそこれが成立するのは適切な人たちの間でしか無い気がしていて、前章とのつながりを感じる。

針鼠の概念

  • 自社が世界一になれる、かつ、経済原動力が明確、かつ、情熱を持てる分野を見極め、そこに集中すること。それ以外は瑣末なことである。
  • 現実を直視し、その上でも自分たちが世界一になれる分野はどこかと理解すること。
  • それと同じくらい大事なのは、どこが世界一になれないかという理解。
  • たとえそこに今リソースを張っていないくても、現状が世界一とは程遠くても、ここなら行ける、と理解することである。
  • 中高と数学の素晴らしい成績を取れても、世界一にはなれないと悟ったなら、数学者にはなるべきではない。能力の罠にかかるな。
  • つまり、いまそこそこ順調だからといってその事業で世界一への道筋が見えなければ、針鼠の概念に該当する事業になり得るとは限らないということである。
  • 自社が最も持続的に、最も大きな影響を与えられる経済指標を選択する。
  • それは事業を包括的に向上させてくれる指標だとよいかなと思った。
  • 大事なのはその指標を絞り込む段階で、事業に対して理解が深まることである。
  • 情熱を燃やせるのは事業自体でなくても、事業が担う社会的意義や自社の役割であっても良い。誇れる部分があればそれでいい。一部分にでも情熱をもてれば。
  • この針鼠の概念は一念発起して高級ホテルで合宿してひねり出すものではなく、常に、考え、改善し、理解を深める中で生まれていく。
  • アインシュタインはある日突然、偉大な科学者になろうと決めたわけではない。

正しい理解に基づいて、正しい道筋が見えている部分に、情熱的に、リソースを張りましょうということ。そしてそれを諦めないこと。勝利への道筋がよく見えていないまま、えいや!で大きな決断をするとろくなことが無いし、長い間事業を運営して継続した利益を出すには、この針鼠の概念と呼ばれる部分がしっかり確立していないと、疲れそう。常に流行に右往左往し、次の一手を不安のなか決めなければならないように思えるからだ。軸が定まっていて、それが良質なものであった場合、思考の時間をそこだけに割けるし、他分野からの知恵の拝借などもしやすい。心の拠り所が事業単位で必要。遠くの北極星があると、船乗りも迷わず安心して毎日櫂を漕げるという感じか。

規律の文化

  • はじめに決めた目標に対して、必ずごまかさず、評価すること。
  • 途中変更や、うやむやにした評価は許されない。
  • 大きな枠組みの中で自由を発揮させる。
  • 大きな枠組みとは、針鼠の概念であり、そこから逸脱するものはやらないという判断である。
  • 大きな枠組みとは、事業を偉大にすることを疑わず、最大の結果を出そうとする人たちである。
  • ふさわしい人たちが集まっていれば、ゴテゴテ細々した管理システムは不要である。
  • 各人が偉大にすることに対して自律している状態が保たれているようにする。
  • その自律ができないのは、適切な席に座っていないからであると考えて、適切な人をバスに乗せる部分からやり直したほうが良い。
  • 責任の所在を明らかにするのも重要。
  • で、責任が達成できなかったときに、必要以上に追求したり避難したりしないことも同じくらい重要に思える。
  • トライアスロンのチャンピオンがコッテージチーズを洗って余分な脂肪分を落としているんだと思いこんで食べる程の徹底ぶりを見せているがこれをやろう。
  • 事業のほとんどの細かいところまで徹底してやりこんだと言えるくらいの徹底をみせるべきだ。
  • そういった規律が必要。
  • そしてその規律をもたらすのは一人の暴君ではなく、文化である。
  • 適切な人が乗れば、バスの中には適切な文化が生まれるということである。
  • その文化が生まれやすい枠組みを作るべきで人を管理するべきではない。
  • 例えば、物事をどうやって決めるか、目標をどうやって決めるか。誰が責任を負うか。不適切な人をどうするか。上下関係を作らないようにする工夫。など。
  • 針鼠の概念に則らないものには手を出さない規律。
  • 正しく選択した分野への非分散型投資。

多くの人がやるべきことリストを膨らませすぎている。忙しい割に成果がでていないのはそのためである。エネルギーが分散してしまうと、ある分野での到達点が低くなってしまうからだろうか。作るべきはやめることリスト。針鼠の概念がしっかりしていればそれも容易である。各々が針鼠の概念を理解し、自律し、やらないことリストを常に更新し、コッテージチーズを洗うような規律を持って取り組む。それができる人がバスに乗るべきで、そうではない人はバスから降りるべきである。そうではない人をバスに乗せるために、ルールをゴテゴテに作るのはナンセンスでそれこそ、やめるべきことリストの最上部にリストアップされることである。

促進剤としての技術

  • 技術は手段でしか無いので、針鼠の概念に沿うものは取り入れればいいし、そうではないものを必要以上にありがたがることはない。
  • 技術は偉大さの一要因ではあるが、主たる原因やきっかけではない。
  • 技術への恐怖が、必要以上に技術に注意を払わせることになっている。
  • 凡庸な経営者は恐怖に突き動かされるが、偉大な経営者は理想と、何かを作りたいという欲求で動いている。

技術がすべてを解決してくれる必殺技ではないということ。人、コアとなる経済回収エンジン、規律こそが偉大さを分かつ。ただ、良質になるためのきっかけや決め手になることはあって、まずはそこを目指しても良いのかもしれないなとは思った。必要以上に恐れることも必要以上に頼ることもしてはいけないなと自戒。

弾み車と悪循環

  • 巨大な弾み車を最初は1時間かけて1回転、徐々に上がっていき、1時間に2,3,4…いつのまにか高速で回っている弾み車の漕手に「どのひと押しがクリティカルでした?」と聞くのは馬鹿げている。
  • 外部から見ると、媒体への露出が増え始めた時期に打った施策や戦略が決め手としてしまいがちだが、そこへたどり着くまでの地道な積み重ねのほうが遥かに重要。
  • それは卵の孵化に似ていて、殻を破るまでに、雛は卵の中で、黄身と白身の段階から毛が生えるひよこになるまで成長を続けていたから殻を破れたのであって。
  • 計画の成功ぶりが見て取れれば、その計画に乗りたいと意欲を見せる人たちは増えてくる。わざわざ声高にビジョンを叫ぶ必要もない。
  • 大なり小なり、素晴らしい成果に貢献したいと誰しもが思っている。それはお金目当てではなく、自分が活きるというのはそういうことだからである。
  • その逆の悪循環に入っていくと悲惨。計画がうまくいかず、それをカリスマ経営者がエクスキューズする形で参加者を増やし、さらに失望を増加させる。
  • 一発逆転を狙おうとしてはいけない。それは浅はかなことである。

すべての打ち手がクリティカルだからなのだろう。一発逆転の銀の弾丸に頼ろうとしている時点で、針鼠の概念が確立されていない証拠である。(確立されていたら、全てが銀の弾丸足り得るため)根気よく、市場にその弾が当たるまで打ち続けることが確率論的に必要なのかもしれない。

どうしてこれらが偉大さの要因になっているのか。そこを突き詰めてはじめてこの本を理解できたとするべきだと思った。

偉大さに大小やレイヤーは関係ない。すぐにでも自分の生活に取り込めるという点でも素晴らしい示唆の結集。
なぜ偉大になる必要があるのか。それは極めることが好きだから。やっていることが好きだから。それに尽きると言っていた。
偉大にならなくてもいいやと思える仕事をしていた場合、おそらく仕事の選択を間違えている。ぐさり。

今自分ができないことはなにか、これから先自分にしかできないことはなにか。やめるべきことリストは何か。針鼠の概念が何か。自分だって”かつ条件"で考えていけば唯一無二のレア度があるのではないか。アイデアが交差点で生まれるには掛け合わせる分野を曲がりなりにもかじっている必要がある。かじる時間が必要。であれば今できないことをできるようにしていく。今できることはできるだけやらないようにしていく。自分にしかできないことが合わさっていればなお良い。今までの経験をもとに新しい価値を生み出せたらどんなに楽しいだろうか。これらの事柄は「個」に向きすぎていて、仕事をするうえでは置き去らないといけないことだとは思う。けれど、「個」の鍛錬を(忘我とは)逆側に振るために意識しておきたい。この本には、そんなことを考えさせられた。

 

ヨドバシカメラとクリスマスカード。

始発で整理券をゲットできて、12/17の追加販売で念願のPSVRを入手したのでヨドバシカメラのポイントが9,000円ほど溜まった。その溜まったポイントを使って、ヨドバシカメラ.comでクリスマスプレゼントを買おうとしたら、店舗じゃないとポイントをオンラインに引き継ぎできないという衝撃の仕様だったので仕方なく店舗へ。という流れで向かった店舗で今度は逆にヨドバシカメラの店員さんのホスピタリティの高さに衝撃をうけた。という祝日。
 
まず、全員が元気。説明をめんどくさそうにしないし、丁寧。かつロジカルな説明。価格差がなぜあるかとか実際にはこういう用途だったらこっちの方がいいとか。その程度だけど、しっかりコミュニケーション取れる人が売り場にいてくれるのはありがたい。他の家電量販店だと、インターネットの口コミを片手に、店員さんを疑いながら聞くんだけど、ヨドバシカメラの店員さんは説明が上手かつ嘘ついてなさそうなので信じてしまう。買う側の気持ちになってるんだろうな。サービスとして店舗が存在しているような感じ。
 
これは売り場の人だけだったらたまにそういう人もいるか、で終わるんだけど、レジの人もテキパキしているし、ポイント引き継ぎも手取り足取りやってくれた。マニュアルで説明してくるとか、誰かに不安げに相談しに行くとか一切なくて、個人個人が自信を持って働いている。すごく好感が持てた。
 
調べてみたら同じことを業界人が言っていた。
ヨドバシカメラの店員教育に感服: エレナトト
 
てかヨドバシカメラ売上業界4位なのに営利は1位なんだ。店舗数は少ないけど、営利が良いってことは出店戦略が良いってのと顧客CVが良いってのが効いていそう。店員さんの勤続年数が長くなり、接客クオリティが高いのも。

 
家電って高額な買い物になりがちだし、結局詳しい人に調べる手間を省いてもらうという点で、リアル店舗の店員さんの活きる道はあるんだろうなと思った。即日入手可能という点でも、大きさや重さを現物で確かめたいという需要があるという点でも、リアル店舗至上主義な人はまだ多いだろうし、そういう人をオンラインショップに誘導するために、ロイヤルカスタマーだけビデオチャットで店員さんと相談できるとか良さそう。そうしたら結構安心してオンライン購入する人も多いんじゃないかな。
 
あと、クリスマスプレゼントに付けるクリスマスカードって意外にその辺に売ってないし、それだけ買いに行くの面倒だなと思って、ふと、投げ込みチラシがクリスマスカードとして使えたらいいなーと。投げ込みチラシがクリスマスカードとして使えるような感じになっていて、右下には「Hoge社がみなさまの素敵なクリスマスをお祝いいたします。」みたいな文言つけて。ブランディングによさそう。どっかやってないのかな。クリスマスギフトで10%OFFセール!とかっていう投げ込みって見られずに捨てられちゃうんだからさ。