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よいちろ日記

忘れないようにメモ。

映画「ゲーム」をふとみたところから、考えたこととか。

あたま整理
ちょっと前に、BSプレミアムで深夜にやっていた「ゲーム」をふとみた。
ゲーム [DVD]

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面白い映画だよ、とはいわれていたけど機会がなくて見ていなかった。
 
何の気なしに見始めると、見ている人を手玉に取るような、展開の激しさと飲み込まれていく感じがたまらないなと思ってテレビにかじりついていた。あっという間にエンディング。大どんでん返しの連続であっけに取られていたら、最後のエンドロールに「デビッドフィンチャー」の名前が。
やられた。
 
デビッドフィンチャーはレンズの監督と言われているみたい。
レンズに精通している=自分の撮りたい画が思った通りに撮れる、という技術的な優位性もあるんだろうな。
撮影シーン毎にどのレンズで撮るかまで計画しているという。(それが普通なのか狂気的なのかは不明だけど。)
 
デビッドフィンチャーといえば最近だと「House of Cards」だけど、ここでも面白い話を発見。
面白いことができるのは、ドラマだと。それもネットドラマ
特に2010年代に入ってからのハリウッド映画界は、“中国やインドなど新興マーケットも見据えた超ビッグ・バジェットの娯楽大作”と“インディペンデント映画出身の若手監督や売り出し中の役者を抜擢してのスモール・バジェット作品”に二極化してしまった。  
デヴィッド・フィンチャーのターニングポイント、『ハウス・オブ・カード』の画期性について
 
面白いこと=スポンサーや周りのしがらみを無視して表現したいことや過激なことを主張しようとすると、ユーザーからの課金を収益の柱として持っていたほうがやりやすい、ということかな。だんだんポルノ的な側面が出てきているような。ユーザーが見たいのは、自分の欲を満たしてくれるポルノを含んでいる部分が多分にある。
 
ポルノ=ある単一の欲求を満たす装置、と考えると、よりたくさんの欲求を同時にそして、受け手が飽きないように、提供するのが作品作り、という割と普通の答えにたどり着いた。まあ、モザイク(コンプライアンス)がかかったポルノよりは、無修正が楽しいというのが常。
 
ところで、町山さんの「これって「マクベス」なんですよ」という部分から、川上さんの「アリストテレスやばい」を思い出した。
 
共通して「原点回帰」している。
人の本性とかってあまり変わっていないだろうし、表現方法の選択肢が少なかった昔の方が、「なんで面白いって思うんだろう」とか「人って結局どういうものなんだろう」ということについて、じっくり考えていたのかな。(まあ本で読むと時間軸が圧縮されていて何十年も蓄積されたエッセンスだからそう思っているだけなのかもしれないけど。)
 
 
読んでて、はっとしたことがあった。
上記の記事で川上さんは「アリストテレスの仮説に当てはめると、現代のコンテンツは奇形」といったことを言っている。
自分は、ある方程式や方法論が与えられた時に、周りの事象を、その方程式や方法論に当てはめられないかっていっつも考えていた。
そして大抵の場合、曲解して無理矢理当てはめて、やっぱり、と自分を納得させていた。賢くなった気でいた。
 
違うならなぜ違うのか。違う事があるということを認めて考えだすという姿勢が全くなかった。
何でもかんでも、とある論に当てはめようとしてしまう、安心型の理解は、その人のコピーにしかならない。
著名人や本の言うことは、すべて真であって、すべてはそこに当てはまるはずだという物事の考え方を恥じた。(非科学分野において)
なにもその著名人や本の著者にも答えがあるわけではない。仮説なんだ。
自分で納得できるかできないかが重要なのに。なんでこんな優等生になってしまったんだろうか。
論にすがってしまう自分が悔しい。
 
自戒メモ。