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よいちろ日記

忘れないようにメモ。

アンガーマネジメントなんていらないと思ってたけど。

あたま整理
自分は自分のことを温厚だと思っていたし、感情をコントロールできると思っていたけど、環境とか自分のバイオリズムとかが色々と重なると、そうも行かないなとわかったので、その時のことを書いておきたい。世の中見渡せば、そんなこと悩むレベルか?とか、仕事舐めてんのか、と自分でもレベルの低さを感じるけど、だからこそ書いておく。レベル低くて器小さくて、ダサい。けど、書く。書くことで整理されて、イライラしたときにどういう風に考え方を変えれば、怒りを健全に発散できるか、を考えるためにも書く。
 
違う文脈で書かれていることだけど、書いておくことで誰かに観られる余地を残しておきたいからってのは、すごくよく分かる。
 で、こういうことを思っていてもわざわざ書くのはカッコ悪いんだよ。分かっててやってるんだよ。そうしないと自分の軸がどこにあるのか、本当は見失いそうになってるんだから。でもカッコ悪くてもやり方がこれしかないんだよ。そんでもって、それをどこか誰かが見えるところに置いておくと、カッコ悪いけどみんなにこんなこと言っちゃったからやらないともっとカッコ悪いしなって思うんだよ。

無駄に意識高かった系学生の末路 - shi3zの長文日記

 

整理すると自分が最近の環境の変化で感じた不快感というか、違和感、怒り?は、
  • 自分ができないことを棚に上げて(できているかのように振る舞い)他人はできて当たり前というような態度をとられること。
  • 自分ができることは他人にも求めてしまうがゆえに「べき」が引き起こすイライラ。こんな単純なことに意外に気付けなくなる。
  • 上司、自分、部下という関係で、親(自分)の幸せは二の次で、孫の未来や成長を優先させたがる祖父祖母。親あっての孫だと思うのだけど。
  • 使い勝手が良い、と思われていることを、頼られていると、脳内変換させようとしている自分。思う壺。
  • クソほど何の役にも立たなそうな、人を向いた仕事は、やらないと咎められる立場にいる自分がさせられるというチキンレースに強制参加。
というところ。
 
まあ、色々と考えたり調べたりして、一個一個解決していくしか無いなと思う。
で、悩んで、まあ、最近良く聞く「アンガーマネジメント」なるものを知ってみようと思って書店に。
「アンガーマネジメント」のすぐ横に心を落ち着かせるという文脈?で「マインドフルネス」コーナーもあって、この辺をななめ読んでみたけどどれもピンとこない。結局自分特有の怒りの原因をしっかり文字で整理し、何が原因で、どう解決できるかを考えることが重要に思えた。
 
サーチ・インサイド・ユアセルフ――仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法

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あまり怒りで困っていない人向けな気がした。

 

だいじょうぶ 自分でできる怒りの消火法ワークブック (イラスト版 子どもの認知行動療法 2) (イラスト版子どもの認知行動療法)

だいじょうぶ 自分でできる怒りの消火法ワークブック (イラスト版 子どもの認知行動療法 2) (イラスト版子どもの認知行動療法)

 

子供向けなのでたとえが秀逸だった。

 

アンガーマネジメント 11の方法―怒りを上手に解消しよう

アンガーマネジメント 11の方法―怒りを上手に解消しよう

  • 作者: ロナルド T.ポッターエフロン,パトリシア S.ポッターエフロン,藤野京子
  • 出版社/メーカー: 金剛出版
  • 発売日: 2016/09/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 教科書的な。自分の怒りパターンがわかるのが面白い。

 

自分ができないことを棚に上げて(できているかのように振る舞い)他人はできて当たり前というような態度をとられること。

一番気になっているのはこれ。よくもまあいけしゃあしゃあとこういうことが言えるなと思うのだけど。もちろん、特別なスキルや専門が決まっていて、自分の専門外のことをお願いするのはわかる。ただ、あくまでもお願いというスタンスは守るべき。できなくて手伝ってもらうのだから。そうではなくて、自分がさぼってできなかったことを、やってこなかったことを、あたかもやってきたかのように振る舞い、それを他人に押し付けるような態度は見ていて惨めになる。本当に能力がなくてできなかったのかもしれないけれど、その努力さえもしてこなかったようにみえる人がそういうことをやるので。こればかりはどうしたら良いかわからないけど、せいぜい、「ああ、俺が同じ立場だったらこいつほどできなかっただろうな」と思わせて、その人の中での認識を改める(塗り替える)ことくらいだろうな。結局相手のメリットになっているところがすごく嫌だけど、怒ることでやることを拒否するよりかは、一度やってみてだめなら、「お前だってできないだろ」「本当にできなかったからそれは采配を変えてくれ」とバトンタッチするのがよろしいかな。まずは目の前のことを実直にやってみる。
 

自分ができることは他人にも求めてしまうがゆえに「べき」が引き起こすイライラ。こんな単純なことに意外に気付けなくなる。

これは相手も思っているはず。そう思うことで割と収めることができる。自分が相手に当然求めたいことが得られなくてイライラするとき、相手も自分に同じく当然求めたいことが得られていない可能性が高い。だから、こちらもあなたの期待に応えられていなくてごめんなさいの気持ちは持ちたい。余裕があるときは。そのレベルが低くて本当にどうしようもなくイライラするときは(「べき」が本当に「べき」なんだけど満たされていないとき)相手への期待値を低くする。相手に期待してしまうことは自分の無能さの裏返しとシビアに受け止める。「そうですよね。あなたにそんなことができるわけないですよね。僕がカバーしますよ。」と。そのカバーリングで相手が幸せになってくれるなら結果自分も幸せだからいい。人の役に立てるじゃないか。身近な人が喜んでくれるのは嬉しいよ。(喜んでくれているというより、「ああ、こいつなんでも言うこと聞いてくれるわ。俺はいつも楽できてラッキー!」くらいに思ってるかもしれないけれど、そういう人は、その後に押し寄せてくる罪悪感に苛まれてくれ。悪人だったらもうしゃあない。)真剣に、同類として仕事をするからこそ生まれる怒りでもあると思う。うまく働けば切磋琢磨できるので、「あなたにはここまで求めたい。」と伝えるのも手。
 

上司、自分、部下という関係で、親(自分)の幸せは二の次で、孫の未来や成長を優先させたがる祖父祖母。親あっての孫だと思うのだけど。

言ってることとやってることが矛盾しているのに気づかないのかなという案件。お前が俺を幸せにしてくれないのに、そう配慮してくれないのに、孫を幸せにできなかったらそれはお前の責任だと。この矛盾にはしびれた。そもそも他人が他人を幸せにできると思っているあたりが気に食わない。ここばかりは上司の目を気にせず、自分の幸せを優先させようと思っている。孫の幸せの援助はできる範囲でする。決して祖父祖母の言いなりにはならない。それで評価が下がるなら、それはそれでいい。あってないから、飛び出すか追い出すとき。自分の幸せが一番。そう考えていいだろ。孫の幸せは孫が見出してくれよ。結局は自分含めて幸せになれないのは、面白い仕事を提示できないリーダーの責任なので、これは自戒の念も込めて、面白い仕事を作り出すということには集中したい。人で幸せを動かそうとする行為は、スケールもしないし、何より自分が疲れる。
 

使い勝手が良い、と思われていることを、頼られていると、脳内変換させようとしている自分。思う壺。

試されている、から期待に答えなければ、とか、色々と仕事くれるのは期待の裏返しとか、ある程度まではワークすると思うのだけど、誰でもできる仕事、自分が今まで何度もやってきた仕事は、うまく処理しないと、いつまでたっても同じステージにいることになってしまう。雑用をやらされているのか、本当に挑戦的な仕事なのかは都度見極めて、「誰がどういう風に得するのか、誰が喜ぶのか。その結果、自分が嬉しいか。」を考えて引き受けないと、機械になってしまう。自分が活きる、頼られる仕事の割合を増やしていくとともに、使われるなかでも光る何かを見せたい。なにが自分にとって得られるものなのかを見極めて、初心を持って取り組む。
 
「頼られる」というのは貴方にしかできないことをお願いされる状態です。
「いいように使われる」はその人や他の人でもできるのに、責任逃れなどの理由で仕事を押し付けられる状態です。

 

Yesと言えるのにあえてNoというには、Yesと言った後にDoneと言わせた経歴が必要なんだよ。まだそれがないのにNoというのは、それはNoではなくてCannotなんだよ。本当にCannotだったら悪いことは言わない。辞めて別の仕事を探せばいい。もっともNoしか言えない人にいい仕事は来ないけど、それは君が選んだ無理。高福祉も高成長も高収入もというのはもっと無理。
〜略〜
私は見栄っ張りなので、NoはYesと言えるときでないと言いたくない。本当に出来ないときにはNoじゃなくて I'm sorry って言う。でも私のところに来る案件は、私が No って言ったら後がないものばかり。25歳の時もそうだったけど今もそう。こういう仕事には No っていいづらい。でも他に行き先があるのが明らかな場合は、遠慮なく No って言っている。厳密には No じゃなくて無理な見積書を出すだけなのだけどね。
 

クソほど何の役にも立たなそうな、人を向いた仕事は、やらないと咎められる立場にいる自分がさせられるというチキンレースに強制参加。

上司には自分の評価を下げるという切り札があるし、部下には自分に責任を負わせることが許される。やらないと損するのは自分、得するのは上司、という状況で誰がやるのやらないの、結局自分がやる、のチキンレースを強いられている。せめて誰がどういう風に喜んで、どう回り回って自分たちに利益があるかくらい知りたい。それが依頼する側の最低限の責任でしょ。だめだよ。ただのわがままでお願いしちゃ。あと、仕事を作り出す、進行するということを任せてくるならば、仕事を断るという判断権限も欲しい。これは自分が上に上がってこういう仕事を抹殺するときのために、どういうたぐいのものが本当のクソ仕事かを覚えておこう。すごくネガティブだけど、いなくなってから困るのは彼らなんだからせいぜい依存させておけばいいという、熟年離婚を企む主婦の気持ちがよーく分かる。
 
 
 
つらつら書いてだいぶ整理されたような気がする。ちょっと俯瞰して見ると、すべては慢性的に人手が足りないことに依っていると思うし、それはどこでもそうだと思うので、少しでも自分が意欲的に働きたくなる環境を作るために、お金を稼いだり、事業の状態を良くすることに腐心しよう。こんなつまらないことは、「回り回って自分の養分になる」と思ってちゃちゃっと処理していこう。ふっと落ち着いて(肚の底の想いとは違っても)ニコニコしてれば、とりあえず問題の本質とは関係なく周りも幸せだ、という結論に至ったが、自分でもおぞましくなる程のサラリーマン精神を発揮してしまって吐きそう。