よいちろ日記

忘れないようにメモ。

「ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則」濃いなあ。

いろいろな場面、レイヤーで活用できるエッセンスが凝縮されている感じ。会社経営にとどまらない考え方のコツのようなものが散りばめてあったけどその全てを拾いきれた気がしないのと、活用しきるまで時間がかかりそうだったので忘れないうちに取り急ぎでメモしておく。理解が違うかもしれないけれどさっと読んだものをさっとメモしておくという感じで。 

ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則

ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則

 

まず、良質な企業が偉大な企業になるために重要な指針が7つある。その指針は良質と偉大とを判別する過不足がない判断軸であって、偉大になるにはすべてを満たしている必要がある。再度斜め読み返して、思い出したことや今の自分に光って見えた部分を無造作に抜粋。これは何度でも読みたい。

第五水準のリーダーシップ

  • 野心は会社のため、事業のために存在していて、自分の功績やお金やいい暮らしに関しては使わない。
  • 目的を達成することだけに興味があり、自分がそこにどういう形で携わるかは重要ではない。
  • 大物ぶったり、自分の実績だろうとなかろうと良い。
  • 特にこの本にでてくる第五水準のリーダーは豪邸に住むわけでもなく、楽しく必要なものに必要なだけ囲まれて生きているという印象を受けた。
  • 農園を自分で作ってみたり、友人と家のフェンスを修理するのを楽しんだり、妻と一緒に建てた家に住んだり。
  • 決して個人の成功のために尽力していない。
  • 永続的な目的達成システムのために尽力している。
  • ただし目的達成のためには職人的なこだわりをみせる。
  • 個人としては実に謙虚だが、事実に基づいた達成可能な目標に対しては誰に対してもフラットに接する。
  • そして必ず目的が達成できることを信じて日々実直に行動する。
  • うまくいったときは幸運だと思い、悪くなったときは自分に原因があると思う。

では果たしてなぜこれが偉大になるために良いのか。逆に、リーダーが自分の我を出すとなぜだめなのか。それは目的に対してリソースが最大最適化されないからだと思う。どこかで私服を肥やそうとしたり、自分の実績だと言えるような我を出したりすると、本当はやるべきことじゃないことをしてしまったり、どこか効率が悪くなってしまったりする。またそういった自慢の類を心地よく思わない優秀な人がいたりする。それによって「あらゆる優秀な人が誰を僻むわけでもなく、目的に全力投球できるような状態」が阻害される。社長が豪邸に住んでたら、自分の労働力が搾取されてるんじゃないかって思うもんな。

最初に人を選び、その後に目標を選ぶ

  • 適切な人を適切なポジションに移動させる。
  • 不適切な人を特に重要な意思決定をなすポジションに置かない。
  • リストラをせよ、という意味ではない。
  • それぞれに最適だと思う場所へ配置を変え、それによって去っていく人が結果出るかもしれないという話である。
  • 一人のカリスマに支えられたトップダウン型だと、継続性がないというだけでなく、優秀な仲間から意見が吸い出せないというデメリットも。
  • 何をやるかさえ決まっていないレベルでもまずは適切な人材を集めて、その後に目的地をセットする。
  • 偉大な企業には、報酬にモチベートされるのではなく、偉大ではないという事実にモチベートされる人材が多かった。
  • 怠け者を働き者に変えるのではなく、元々熱心な働き者がより心地よく、怠け者の居心地が悪くなるような環境を作り出した。
  • 水ぶくれした上層部にこそ厳格な基準を。冷酷ではなく、厳格。ひどいのではなく、厳密に。
  • まず適切な人材を。適切な人材の数の増加率より売上の増加率を高く保ったまま偉大さを気づくことはできない。
  • 適切な人材は管理を必要としない。必要なのは指針である。
  • なにが適切か。性格である。知識や技術は身につけることができるが、適したマインドセットは一朝一夕では身につかない。

これは管理コストと教育コストの問題に集約できる気がする。がんじがらめのごちゃごちゃした管理システムや目標設定システムは、創造性を邪魔する。そういったものが必要になった時点で適切な人材を配置できていないと考えたほうが良い。それは性格の問題なのかもしれないし、単にスキルセットの問題なのかもしれないが、適切な人材を適切なポジションに配置できれば、その管理コストや教育コストを低く保ったまま、特に細かな指示なく、「あっちの方に肥沃な土地があるぞ」というだけで、各々が最適な手段を持ってして目指してくれる。指示を出す層もプレイヤーとして活躍できるようになる。マネージメントや細かな指示を必要以上に欲しがる現場があるけれど、そういったところから良いプロダクトは生まれないんだろうなと感じた。

厳しい現実を直視する

  • 現実を歪めてしまうのが悪。
  • 厳しい現実も、追い風になりそうな現実も、主観で補正をかけることなく、ファクトとして受け止める。
  • 必要以上に悲観的になることも楽観的になることもしてはいけない。
  • 一人のカリスマが全体を引っ張る場合、下からの現実の吸い上げがうまくいかないことがある。
  • チャーチルは戦争中いかなる事実も曲げないで自分に報告させる統計局を重要視した。
  • リーダーシップの要点はビジョンだが、それと同じくらい、真実に耳を傾ける社風、厳しい現実を直視する社風作りが大事。
  • 自分の意見を言えるのと、上司が意見を聞くのでは大違い。上司が真実に耳を傾ける姿勢を常に見せ続けることが重要。
  • そしてよく、活発に、白熱した、事実に基づいた議論を行うこと。萎縮させてはいけない。
  • 非難は無意味。
  • 入手した情報を、無視できない重要な情報として判別できるかがカギ。
  • ストックデールの逆説。クリスマスまでに解放されることはないが、必ず開放されると、捕虜になったストックデールは頑なに信じていた。
  • 事実はどんな悲惨な事実であっても、直視し、必ず打開できると信じ、悲惨な真実に対して手を打つこと。

ファクトのもとに、誰しも平等に意見を出し合い、最善を尽くすこと。現実を捻じ曲げてはいけない。そしてそのファクトを吸い上げやすい雰囲気作りをすること。科学的なアプローチとも言える。感情や憶測は不要。事実を淡々と見つめ、手を打つ。それが教授だろうと学生だろうと、事実と結果のもとには平等であるという関係値が成立するように。これは、多くの人が、自分の都合の良いように事実を解釈してしまっているということの裏返しな気がしている。どうしても自分が可愛いので、事実のもとに平等に議論して、その時点で最善の答えを出すという当たり前のことが難しいのだろうか。それこそこれが成立するのは適切な人たちの間でしか無い気がしていて、前章とのつながりを感じる。

針鼠の概念

  • 自社が世界一になれる、かつ、経済原動力が明確、かつ、情熱を持てる分野を見極め、そこに集中すること。それ以外は瑣末なことである。
  • 現実を直視し、その上でも自分たちが世界一になれる分野はどこかと理解すること。
  • それと同じくらい大事なのは、どこが世界一になれないかという理解。
  • たとえそこに今リソースを張っていないくても、現状が世界一とは程遠くても、ここなら行ける、と理解することである。
  • 中高と数学の素晴らしい成績を取れても、世界一にはなれないと悟ったなら、数学者にはなるべきではない。能力の罠にかかるな。
  • つまり、いまそこそこ順調だからといってその事業で世界一への道筋が見えなければ、針鼠の概念に該当する事業になり得るとは限らないということである。
  • 自社が最も持続的に、最も大きな影響を与えられる経済指標を選択する。
  • それは事業を包括的に向上させてくれる指標だとよいかなと思った。
  • 大事なのはその指標を絞り込む段階で、事業に対して理解が深まることである。
  • 情熱を燃やせるのは事業自体でなくても、事業が担う社会的意義や自社の役割であっても良い。誇れる部分があればそれでいい。一部分にでも情熱をもてれば。
  • この針鼠の概念は一念発起して高級ホテルで合宿してひねり出すものではなく、常に、考え、改善し、理解を深める中で生まれていく。
  • アインシュタインはある日突然、偉大な科学者になろうと決めたわけではない。

正しい理解に基づいて、正しい道筋が見えている部分に、情熱的に、リソースを張りましょうということ。そしてそれを諦めないこと。勝利への道筋がよく見えていないまま、えいや!で大きな決断をするとろくなことが無いし、長い間事業を運営して継続した利益を出すには、この針鼠の概念と呼ばれる部分がしっかり確立していないと、疲れそう。常に流行に右往左往し、次の一手を不安のなか決めなければならないように思えるからだ。軸が定まっていて、それが良質なものであった場合、思考の時間をそこだけに割けるし、他分野からの知恵の拝借などもしやすい。心の拠り所が事業単位で必要。遠くの北極星があると、船乗りも迷わず安心して毎日櫂を漕げるという感じか。

規律の文化

  • はじめに決めた目標に対して、必ずごまかさず、評価すること。
  • 途中変更や、うやむやにした評価は許されない。
  • 大きな枠組みの中で自由を発揮させる。
  • 大きな枠組みとは、針鼠の概念であり、そこから逸脱するものはやらないという判断である。
  • 大きな枠組みとは、事業を偉大にすることを疑わず、最大の結果を出そうとする人たちである。
  • ふさわしい人たちが集まっていれば、ゴテゴテ細々した管理システムは不要である。
  • 各人が偉大にすることに対して自律している状態が保たれているようにする。
  • その自律ができないのは、適切な席に座っていないからであると考えて、適切な人をバスに乗せる部分からやり直したほうが良い。
  • 責任の所在を明らかにするのも重要。
  • で、責任が達成できなかったときに、必要以上に追求したり避難したりしないことも同じくらい重要に思える。
  • トライアスロンのチャンピオンがコッテージチーズを洗って余分な脂肪分を落としているんだと思いこんで食べる程の徹底ぶりを見せているがこれをやろう。
  • 事業のほとんどの細かいところまで徹底してやりこんだと言えるくらいの徹底をみせるべきだ。
  • そういった規律が必要。
  • そしてその規律をもたらすのは一人の暴君ではなく、文化である。
  • 適切な人が乗れば、バスの中には適切な文化が生まれるということである。
  • その文化が生まれやすい枠組みを作るべきで人を管理するべきではない。
  • 例えば、物事をどうやって決めるか、目標をどうやって決めるか。誰が責任を負うか。不適切な人をどうするか。上下関係を作らないようにする工夫。など。
  • 針鼠の概念に則らないものには手を出さない規律。
  • 正しく選択した分野への非分散型投資。

多くの人がやるべきことリストを膨らませすぎている。忙しい割に成果がでていないのはそのためである。エネルギーが分散してしまうと、ある分野での到達点が低くなってしまうからだろうか。作るべきはやめることリスト。針鼠の概念がしっかりしていればそれも容易である。各々が針鼠の概念を理解し、自律し、やらないことリストを常に更新し、コッテージチーズを洗うような規律を持って取り組む。それができる人がバスに乗るべきで、そうではない人はバスから降りるべきである。そうではない人をバスに乗せるために、ルールをゴテゴテに作るのはナンセンスでそれこそ、やめるべきことリストの最上部にリストアップされることである。

促進剤としての技術

  • 技術は手段でしか無いので、針鼠の概念に沿うものは取り入れればいいし、そうではないものを必要以上にありがたがることはない。
  • 技術は偉大さの一要因ではあるが、主たる原因やきっかけではない。
  • 技術への恐怖が、必要以上に技術に注意を払わせることになっている。
  • 凡庸な経営者は恐怖に突き動かされるが、偉大な経営者は理想と、何かを作りたいという欲求で動いている。

技術がすべてを解決してくれる必殺技ではないということ。人、コアとなる経済回収エンジン、規律こそが偉大さを分かつ。ただ、良質になるためのきっかけや決め手になることはあって、まずはそこを目指しても良いのかもしれないなとは思った。必要以上に恐れることも必要以上に頼ることもしてはいけないなと自戒。

弾み車と悪循環

  • 巨大な弾み車を最初は1時間かけて1回転、徐々に上がっていき、1時間に2,3,4…いつのまにか高速で回っている弾み車の漕手に「どのひと押しがクリティカルでした?」と聞くのは馬鹿げている。
  • 外部から見ると、媒体への露出が増え始めた時期に打った施策や戦略が決め手としてしまいがちだが、そこへたどり着くまでの地道な積み重ねのほうが遥かに重要。
  • それは卵の孵化に似ていて、殻を破るまでに、雛は卵の中で、黄身と白身の段階から毛が生えるひよこになるまで成長を続けていたから殻を破れたのであって。
  • 計画の成功ぶりが見て取れれば、その計画に乗りたいと意欲を見せる人たちは増えてくる。わざわざ声高にビジョンを叫ぶ必要もない。
  • 大なり小なり、素晴らしい成果に貢献したいと誰しもが思っている。それはお金目当てではなく、自分が活きるというのはそういうことだからである。
  • その逆の悪循環に入っていくと悲惨。計画がうまくいかず、それをカリスマ経営者がエクスキューズする形で参加者を増やし、さらに失望を増加させる。
  • 一発逆転を狙おうとしてはいけない。それは浅はかなことである。

すべての打ち手がクリティカルだからなのだろう。一発逆転の銀の弾丸に頼ろうとしている時点で、針鼠の概念が確立されていない証拠である。(確立されていたら、全てが銀の弾丸足り得るため)根気よく、市場にその弾が当たるまで打ち続けることが確率論的に必要なのかもしれない。

どうしてこれらが偉大さの要因になっているのか。そこを突き詰めてはじめてこの本を理解できたとするべきだと思った。

偉大さに大小やレイヤーは関係ない。すぐにでも自分の生活に取り込めるという点でも素晴らしい示唆の結集。
なぜ偉大になる必要があるのか。それは極めることが好きだから。やっていることが好きだから。それに尽きると言っていた。
偉大にならなくてもいいやと思える仕事をしていた場合、おそらく仕事の選択を間違えている。ぐさり。

今自分ができないことはなにか、これから先自分にしかできないことはなにか。やめるべきことリストは何か。針鼠の概念が何か。自分だって”かつ条件"で考えていけば唯一無二のレア度があるのではないか。アイデアが交差点で生まれるには掛け合わせる分野を曲がりなりにもかじっている必要がある。かじる時間が必要。であれば今できないことをできるようにしていく。今できることはできるだけやらないようにしていく。自分にしかできないことが合わさっていればなお良い。今までの経験をもとに新しい価値を生み出せたらどんなに楽しいだろうか。これらの事柄は「個」に向きすぎていて、仕事をするうえでは置き去らないといけないことだとは思う。けれど、「個」の鍛錬を(忘我とは)逆側に振るために意識しておきたい。この本には、そんなことを考えさせられた。