よいちろ日記

忘れないようにメモ。

「ライフ イズ ストレンジ」人はなぜ物語を求めるのか。

 
アメリカの女子大学生マックスが、周りの人とコミュニケーションする中で、奇怪な事件に巻き込まれていく。マックスにどういった行動や言動を取らせるか(選択肢を選ぶことでストーリーが進む)によって、状況や結末がバタフライエフェクト的に展開していくというゲーム。
 
とにかく、マックスがかわいくて、いいやつで、自分も良いやつになった気分になってくるんだよね。アメリカのキャンパスライフを疑似体験できるのも新鮮だった。
 
20時間くらいやったかな。なんだか海外ドラマをシーズン4くらいまで見終わった感覚。若干ロスを感じている。実際にプレイしているときも、ゲームをやっているというより、主人公や周りのキャラの気持ちを考える時間が長くて、ドラマを見ている感覚に近かった。なので、結構、気が楽というか、よしゲームやるぞ!ってしなくてもできたのはよかったなあ。話の流れも海外ドラマっぽくて、チャプターの終わりにはどんでん返しがあったりして。
 
他には、このあたりのゲームがそういう系っぽい。
UNTIL DAWN
Until Dawn -惨劇の山荘- 【CEROレーティング「Z」】

Until Dawn -惨劇の山荘- 【CEROレーティング「Z」】

 

 実況がおもろい。

 

 
BEYOND: Two Souls 

 この実況もおもろい。

 
どっかでみた人に似てるなって思ってたら実際の演技を再現する手法で作られているんだ。確かにCGで想像しながらやるより、撮ったものを再現するほうが効率良さそう。

 

HEAVY RAIN −心の軋むとき− 
HEAVY RAIN(ヘビーレイン) -心の軋むとき-

HEAVY RAIN(ヘビーレイン) -心の軋むとき-

 

 

 

探したらBEYOND: Two SoulsHEAVY RAIN −心の軋むとき−」のパック売りみたいなのが、PS4だとあって、2本で4,000円くらいだったので買った。

HEAVY RAIN -心の軋むとき- & BEYOND: Two Souls Collection | ソフトウェアカタログ | プレイステーション® オフィシャルサイト

 

ところで、Netflixの物語展開が選べるという試みはこれ系のゲームに近そう。そしてこのクオリティで没入感を体験させるには、コントローラーが必要そうだし、何より、分岐が難しそう。多すぎると撮影が大変だし、分岐による影響が少ないと、選んでいる面白みがなくなりそうだし。ゲームプラットフォームで、ゲームライクなコンテンツとして配信されるとかなら大歓迎。もっとこの手のゲームをいろいろな形で体験してみたい。

 

話を「ライフ イズ ストレンジ」に戻すと、意外だったのが、選択肢を迫られたときにめっちゃ考えてる自分がいた事。自己をマックスに投影して、人の相談に乗っているようなリアリティもあったし、人間関係を構築したり、キャラの人生を想像したり、モラルの判断だったり、自分だったらこうしたいという価値観だったり。ひとつの選択肢に10分くらい考え込んだこともあった。
 
正直、どんな選択をしても、大きくエンディングが変わるとかじゃないんだろうけれどね。開発工数とか、作品がユーザーに与える印象を揃える、とか考えたら、まあそうだろうな。例えていうなら、大河の上を小さなカヌーで右往左往しながら流れているだけなんだろうけど、その時見える景色とか、魚がはねたりとかっていう小さい差異を楽しませるような作りになっていて、すごく面白かった。選択している感覚は確かにあった。
 
今回「ライフ イズ ストレンジ」をプレイして感じたのは、ゲームって物語を伝える一つの手段なのかも知れないなということ。物語ありきのゲーム。ゲームという手段で物語を楽しむ。ゲームだけじゃなく、映画、小説、マンガ、ニュース…世の中のエンタメは「物語」を楽しむための手段が違うだけなんじゃないかなと考えた。
 
では仮にそうだとして、なぜ人は物語を求めるのかを考える。
大抵の人は、毎日、同じような環境で、同じような人たちに囲まれ、生活している。そしてそれに慣れる。どこかで慣れが生じると、(それは、一日の大半を過ごす空間や、会う人や、食べ物や、繰り返しやっていることかもしれないが)、どうしても、違う世界、違う生活に興味が湧いてくる。知的好奇心だったりが牽引していると思う。刺激を求める体質というか。脳の傾向というか。実際に、短期間の引っ越しや、海外旅行や、ジョブホッピングによって解消している人もいるし、付き合う異性をコロコロ変えることで解消する人もいる。だけど、そのコストって、高いことが多い。環境を変えて、付き合う人を変えて、住む場所を変えて、言動や持ち物やあらゆるものを変えてみて、というトライにかかるコスト。環境変化による知的刺激コスト。だから、そういった欲求、日々をガラッと変えることで、自分の飽きや、知的好奇心を満たそうとする欲求、それを手軽にしかも、何らかの達成感(大抵は困難を乗り越えるというもの)というおまけ付きで、疑似体験として想像上のifを味わえるのが、物語だったり、その手段としてのゲームだったり。人間の共感力、想像力、疑似体験力ってすごい脳を発達させてきた気がする。勘違いのちからすごい。というのが物語を求める理由なんじゃないかなと思った。
 
ちなみに「ヒトの心はどう進化したのか」という本にはこんなようなことが書いてあった。(記憶)
  • 冒険したい欲は、新しい食料を求めて狩猟生活していたときの名残。
  • 共感するのは、人間というコミュニケーションする動物が共存していくために必要な能力。
  • 模倣する、遊ぶというのは、狩りや性差や役割を獲得していく、学習していくための過程。

 なるほど。物語=現実のシミュレーションと捉えて、環境適応の訓練だとか、共感の練習だとか、狩猟能力の獲得だとかという説明は、無意識にそういった理由で心地よさを覚えていることは理解できる。けど、実際に生きている自分の満足がそれによって引き起こされているということを実感できるレベルで納得するのは難しい。

 
 
現代人のエンタメ、ストレス発散って、物語に大きく依存していると思う。
なぜ人は物語を求めるのか、という問いは、もう少しじっくり考えてみる。